「最初に(治療の)依頼を受けたとき、私は患者があの犯人だとは知らなかったんです。『やけどが全身の90%に及んでいる患者さんがいる。診に来てもらえないか』という要請があり、他の医師とともに京都市内の病院に向かいました。
全身の90%に重度のやけどを負っている状態は、どんな熱傷(やけど)の専門家に聞いても『救命困難』という答えが返ってくると思います。私たちから見ても、過去に例のない手術だったと思います」
そう話すのは近畿大学医学部附属病院に所属する熱傷専門医のA氏。青葉真司容疑者(41歳)の担当医の一人だ。
青葉容疑者のやけどの大部分が「V度」と呼ばれる重度のものだった。
「熱傷は、T〜V度の3段階に分類されます。T度は『表皮』という皮膚の表層のみに熱傷がある状態で、U度は表皮の下の『真皮』まで及んでいる状態を指します。そしてV度は真皮の下の皮下組織にまで熱傷が及ぶ状態です」(ナビタスクリニック立川皮膚科の佐藤典子医師)
一般的な熱傷治療の場合、まず患部を「人工真皮」で覆う。これは動物のコラーゲンなどから作られた、文字通り人工の皮膚のことだ。
ただ、それだけでは、体内の水分がどんどん漏出してしまう。そのため、人工真皮の上に、自分の細胞から作成した「培養表皮」を移植する必要がある。だが、これはすぐにできるわけではない。
「培養表皮は患者さんが必要とするような大きさに培養するまで、どんなに急いでも3週間はかかります」(日本熱傷学会専門医の原田輝一医師)
そのため、一時的に、他人の皮膚を人工真皮の上に貼り付けておく。これは、亡くなった人から提供された皮膚を保管しておく「スキンバンク」から受け取る。
そして、培養表皮が完成する頃には、他人の皮膚は自然とはがれ落ちるので、人工真皮の上から、その培養表皮を貼り付けるのである。
だが、青葉容疑者に対して、この一連の治療法がなされることはなかった。スキンバンクの皮膚が使えなかったからだ。
日本熱傷学会の元会長・百束比古医師が語る。
「スキンバンクは'91年から始まった制度です。救急救命センターなどで亡くなった方のご遺体から、ご家族の同意を得て、皮膚を採取し、保存する。そして今回のような事故や事件でやけどを負った人の治療に提供されます。
ただ、一番の問題は臓器移植と同様に、慢性的なドナー不足に陥っていることです」
今回の事件では、69名の死傷者が出た。そのほとんどが中度〜重度のやけどを負っており、数少ないスキンバンクの皮膚は当然ながら、被害者の治療に優先的に回されることになった。
「(青葉容疑者の)治療を始めて、スキンバンクからの皮膚は使えないということがわかりました。そこで、『人工真皮だけでやろう』ということになったのです」(A氏)
人工真皮だけの手術は経験済みだった。A氏らのチームには、過去に全身の約70%にやけどを負った患者に、人工真皮だけで治療した経験のある医師がいたからだ。しかし、その時以上に今回のケースは過酷だった。
「治療を進めていくなかで、本当に多くのハードルや落とし穴がありました。1つや2つというレベルではありません。10個、20個という障害をひとつひとつクリアしながら、ようやく回復の兆しがみえてきたのです」
A氏らの懸命の治療の結果、8月中には命に別状がない状態になった。そうして青葉容疑者は11月14日に近大病院から、京都市内の病院へと転院していった。
A氏ら担当医は「なぜあんな人間を救うのか」という抗議の声、そして「彼を殺すために助けるのか」という自問との狭間で苦悩しながら、青葉容疑者の治療に全力を尽くした。A氏はこう語る。
「被害者があれだけたくさん亡くなったのに、『なんで加害者を救うんだ』と思う方がいるのは、わかっています。ただ、我々医療者が考えるのは目の前の患者さんのことだけです。他のことは関係ありません」