(インタビュー) 強制連行、史実から考える 歴史学者・外村大さん (朝日新聞デジタル 2015年4月17日)
――強制連行は「なかった」と主張する人がいますが。
とんでもない。朝鮮半島で、日本内地への暴力的な労務動員が広く存在していたことは、史料や証言からも否定しようがありません。
政府は1939年から毎年、日本人も含めた労務動員計画を立て、閣議決定をした。朝鮮からの動員数も決め、日本の行政機構が役割を担った。
手法は年代により『募集』『官あっせん』『徴用』と変わりましたが、すべての時期でおおむね暴力を伴う動員が見られ、
約70万人の朝鮮人が主に内地に送り出されました。
こんな当たり前の史実が近ごろ、なぜか曲解される。誤解や間違いも目立つ。歴史家の常識と、世間の一部の感覚とが、ずれてきたように感じています。
――なぜ、こんなことに?
特に90年代半ばからですね、史料の発掘が進み、いろんな話が出てきました。
朝鮮人の待遇が日本人よりよかったとか、自ら望んで来た人がいたとか。いずれも事実の断片ではあるんですよ。
じゃあ暴力的な連行や虐待は例外的だったかというと、それは違う。事実というものは無限にあるものです。
都合のいい事実だけをつなぎあわせれば別の歴史も生まれる。でも、それは『こうあってほしい』というゆがんだ願望や妄想に近い。
慰安婦問題で国が直接、連行を命じた文書が出ていないことに乗じ、強制連行までも『なかった』ことにしたい人がいるのでしょう。
――事実の断片と歴史の本筋。どうすれば見分けられますか。
何が一般的で、何が例外的な出来事だったかを見分けるには、幅広い史料にあたり、ミクロとマクロの両方から押さえる必要があります。
日本の統治機関である朝鮮総督府の調べでは、太平洋戦争開戦前年の1940年に朝鮮農村で『転業』を希望していた男性は24万人程度しかいなかった。
朝鮮内部の動員や満州への移民もありましたから、その年だけでも底をつく人数です。翌年から人集めが大変になったのは疑いようがない。
実際、内務省が調査のため1944年に朝鮮に派遣した職員は、動員の実情について『拉致同様な状態』と文書で報告しています。
厚生省から出張した職員も1945年1月、村の労務係の言葉として、住民から『袋だたきにされたり刃物を突きつけられたり命がけ』だと報告している。
それほど抵抗が広がっていたのに、日本帝国は無理に無理を重ね、逆に動員数を増やしていったのです。
(以下略)