
60年前にパリ郊外でデモをした120人以上のアルジェリア系住民が警察官に虐殺された事件をめぐり、マクロン大統領が16日、大統領として初めて追悼行事に参加した。当日出した声明で「許すことのできない犯罪だ」と非難したが、謝罪や国の責任については言及を避けた。(パリ=疋田多揚)
事件が起きたのは1961年10月17日。フランスからの独立を目指したアルジェリア戦争(1954~62年)のさなかだった。アルジェリア系のイスラム教徒だけに夜間外出禁止が課され、差別的だとしてパリ郊外で2万人以上が抗議デモに参加した。
武器の所有は禁じられており、デモは平和裏に行われたが、パリ警視庁は身内に死傷者が出たとのデマを信じ、参加者を弾圧。1万2千人を逮捕した。一部は収容所で殴り殺されたり現場で射殺されたりした。犠牲者は少なくとも120人に上り、一部の遺体はセーヌ川に遺棄されたが、その多くは見つかっていない。
同庁は翌日、アルジェリア人同士の衝突で3人が死亡したと発表。当時は検閲が行き渡っており、真実は長く伏せられた。80年代に犠牲者の遺族の声が国民に届くようになり、90年代に歴史家が検証を始め、「西欧現代史で最も暴力的なデモ弾圧」と位置づけられたが、今もフランスでは広く知られていない事件だ。
マクロン氏は16日、弾圧現場となったセーヌ川の橋のたもとで献花し、黙禱(もくとう)を捧げた。演説はせず、その後に大統領府が出した声明で「フランスは正面から歴史を見つめる」とした。
ただ、「重要なのは事実を認めることだ」(大統領府)として謝罪は避け、「国が殺害を指示したわけではない」として国の責任には一切言及しなかった。
今回の式典参加は、マクロン氏…
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