p252‐3
丸山真男が一兵卒として体験した戦争は、一言でいえば知識人として「普遍的な」意味を持つ体験であった。才能ある丸山は、それを自覚的に、また思想的に体験した。敗戦前に彼がすでに戦後日本の「民主主義」を先取りしていたことは、彼の俊敏さとともに、それが「進歩的」知識人として「普遍的な」体験であったことを物語っている。実践される前に「先取り」されたがゆえに丸山の「民主主義」は、戦後大衆が奪取すべき民主主義とはかい離したものとなる徴候をはらんでいたともいえる。
・・・・・私(吉本)が丸山の敗戦までのイメージをよくつかめなかったのは、ほとんどその思想が大衆の生活思想に、ひと鍬も打ちいれる働きを持っていなかったことを意味している。
リベラルな日本知識人の多くはアタマのなかで考えあぐねていた。「敗戦で打ちのめされた日本の大衆は、支配層の敗残を目の当たりにし、食物も家もなくなった状態で、何をするだろうか?暴動によって支配層を打ちのめして、みずからの力で立つだろうか?あるいは徹底抗戦をゲリラ的に進めて、「終戦」をほんとうの「敗戦」に持っていくだろうか?」・・・・と。
しかし日本の大衆はなにもしなかった。大衆は天皇の「終戦」詔勅をうなだれて聞き、無抵抗に武装を解除して、荒れ果てた故郷に帰っていくだけであった。わたしたちはこのとき絶望的な大衆のイメージを見たのだが、丸山に言わせれば、「解放された御殿女中とはこういうものであった」。・・・・・残念なことに丸山真男の戦後の思想からは解放された御殿女中のその後を聞くことができない。
p259
大衆は「それ自体」として生きている。天皇制によってでもなく、もちろん理念によってでもなく、それ自体として生きている。そこから出発しない大衆のイメージは、すべて仮構のイメージとなる。だからほんとうは、大衆の日本的な存在様式の変遷として設定されなければならない問題を、支配ヒエラルヒーが天皇制からブルジョア民主主義に変わったから、この民主主義の確立こそ大衆的な課題である、といった誤ったイメージで捉えることになる。これは現在の丸山学派や類縁関係にある市民主義知識人の陥っている一般的な錯誤に通じている・・・・・・。
p263
メージとなる。だからほんとうは、大衆の日本的な存在様式の変遷として設定されなければならない問題を、支配ヒエラルヒーが天皇制からブルジョア民主主義に変わったから、この民主主義の確立こそ大衆的な課題である、といった誤ったイメージで捉えることになる。これは現在の丸山学派や類縁関係にある市民主義知識人の陥っている一般的な錯誤に通じている・・・・・・。
p263
・・・・・丸山の『超国家主義の論理と心理』の唯一の価値は、国家として抽出される幻想の共同性が、日本においてはつねに曖昧なる抽出としてしか行われない、という土着的な様式を指摘した点に帰することができる。しかし丸山はそれを土着的な様式と見ずに、近代国家形成の過程において起こった天皇制の問題としてみたのである。もちろん丸山の天皇制概念は、その土着的な根幹を、現在では消滅してしまった外皮から区別しなければ、本来的な思想的意味を持たない。
p300−1
・・・・・人間が社会的に存在するとき、人間は公的と私的に「同時に」「わかちがたく」存在している。人間の意識が社会的に存在するとき、それは情動的にも理性的にも、また生理的にも存在している。・・・・人間の意識の存在の仕方としていちばん肝心なことは、整序以前からの意識の総体が、「わかちがたく」存在しているということである。
・・・・・丸山真男にとっては、「わかちがたく」存在する「現実」はもっとも認めがたいものなのだ。わたしたちの思考が、抽象化と総合化に向かって運動を始める直前の対象があるがままに存在する瞬間こそ、丸山には耐えがたいことである。だからこそ、彼の方法には社会現象を生活史に不断に還元する過程が不足しているのだ。いうならば「現実」の空気が不足しているのである。
そーす
http://abe.shinzo.com 大衆の劣情に応える政治は
ただのファシズムか文明破壊に行き着くだけだぞ
平たく言うとエリート丸山(学者)は学問の世界に閉じこもって俺たち大衆(ネトウヨ)と乖離している!
ってことなんだけど 勿論、我々は劣情とわかちがたく存在する動物だ
しかし社会的動物だ
だから
ポルノやフィクションや
ゲームや吸いポートと言った暴力性や劣情の解放も必要
しかしそれをルール化してコントロールしたり
ポルノはポルノとして楽しむ必要がある
それを飛び越えて
劣情で現実を埋め尽くす日本のネトウヨ・自民・普通の日本人
の仕草は
ファシズムと文明破壊に行き着く
これ割と重要な指摘じゃね?
でも俺らの生きる時代は吉本隆明の時代じゃないから
アンアンに出ればいいというもんでもない ビートたけし嫌いなんだけど「ギャルソンなんか着てわかったようなツラしてるあいつアホじゃね?」みたいなこと吉本に言ってたのはおもしろかった
ぜんぜん違うぞ、
復興増税について言えば理論からして間違ってるし
リコリニアライダーについて言えば予算制約を理由にやめてるし
あいつら学術を代表する連中の体をなしてない
がただのバカのあつまり
俺の考えでは学問や芸術ってそもそも大衆と相容れなくね?ってことなんだけど
>>8
今では当たり前のように学者がアニメや漫画について語ったりするけど
吉本隆明以前は大衆文化について語る思想家はほぼ居なかった
その点での業績はあると思うけど 丸山はモデルを呈している
モデルとは飽くまでも模型つまりフィクション
現実では無く現実では無い事に意味がある
それを現実は異なると批判する方がおかしい
>>1
丸山のほうは読んだけど、
丸山の論の正誤は置いといて、丸山が大衆を知らないわけじゃない
徴兵されて二等兵かなんかで放り込まれて、インテリだから、ここぞとばかりに下士官にマウントされたと言ってるし、兵営にいて、徴兵された農民を一切理解せず「思想的に体験した」というのがコイツのフィクション >>11
漫画やアニメは「広告代理店手法」から分離した
独自の精神が昔はあったから
語る意味もあったけどさ
例えば、富野がイデオン作る時に
スポンサーの前で説明したことを、直後にスタッフに「今の話は全部忘れろ。これは古代人のマシーンだ」
とか言い出すとか
ようは「商業主義」から分離した「ロックンロール」だったわけだ
「ニューシネマ」だったわけだ
でも今や最早
全てが広告代理店的な手法に娯楽も汚染されて
さらに政治も汚染されて
政治のポルノ化も進んでるし、政治ポルノを政治ポルノと理解しない奴らが
マジョリティになってる
つまりコミックLOを読んで「この雑誌は一番売れてるエロ雑誌だからこれが正しい」と大衆がなり
小学校に乗り込んで「我々は小学生とセックスする権利がある」と全裸で小学生をレイプしてまわり
上級国民だけ逮捕されないような自体になっている
今は、そういう大衆と、知識人は勇気を全力でふりしぼって戦わないといけない時代し
漫画アニメを語っても、東のように何も生み出さずに、ネトウヨ化するだけの時代 >>10
基本的にはそうだな
民主主義も、専門家の意見を聞くのが基本
大衆には専門家として学問的真理を追及する義務はないが、専門家の言うことをマスコミが噛み砕いたものを理解できる必要がある(中3程度)てスタンスだし そもそも復興増税にしても理論が間違ってると
批判してるの高橋洋一とか田中秀臣とかじゃねえか
学者と学者の戦いじゃねえか
ネトウヨの学者批判はただのバカウヨのコピーだから違う
ネトウヨの学者アレルギー
インテリアレルギーの話ね 「震災復興のための消費税引き上げが浮上しているが、消費税に限らず復興のための一時的な増税は望ましくない。
ハーバード大学のバロー教授の課税平準化理論によると、震災復興のような一時の財政需要増を増税ですべて賄うことは適切ではない。
一時の重い課税が消費や労働などの経済活動に負の影響を与えるからである。復興財源は国債発行で賄い、
負の影響を小さくするべく長期にわたって課税することが望ましい」(畑農[2011]
吉本は大衆が好きだけど規定できてないね
規定の武器は唯物論かヨーロッパ的観念論しかない
どちらにしても未熟扱いだろう
その未熟さを規定した丸山のほうが誠実
それが大衆の武器となるかはどうでもいい
学問はそういうものじゃないし
吉本隆明も小難しいこと言ってるけど
言ってる内容はネトウヨと一緒なんだよ
お前らインテリ左翼は机上の空論振りかざしてるけど生活者としての実態がない
みたいな
吉本隆明の定義する大衆というのが曖昧で少しつかみ所がないけれど ネトウヨの学問アレルギーは自分への不信、あきらめ
これは宗教のせいだろう
>>23
吉本隆明定義の大衆のつかめなさは異常
どういう意味なんだよ 東日本大震災被災者救援・被災地域復興のために
平成 23 年4月5日
日本学術会議東日本大震災対策委員会
国は緊急対策の補正予算を組み、国家予算の組み替え、
既定の財政支出の節減を図るとともに、復興のための国債の発行や
増税・新税(たとえば開発復興税)について、制度の設計を進めるべきである。
国債発行に関しては財政規律の問題を考慮し、増税は、
国民的な復興努力の一環として位置づけ、世代間に
おける負担の公平性を図るべきである。
http://www.scj.go.jp/ja/info/jishin/pdf/t-110405-1.pdf 吉本の批判は
知識人といえどもしょせんは大衆の裏返しであって
大衆と結びついているんだから大衆から離れたエリート面すんなってことだろう
あとは左翼的な大衆に希望を見る視点もあるかもね
>>15
同意
丸山はむしろ徴兵された時に牢名主みたいな兵長伍長連中に嫌というほど扱かれて大衆の娯楽がどう言うもんかよく味わった
その後も学生闘争で研究室を荒らされて大衆とはどう言うもんか強制的とはいえ関わってた方だ 大衆との乖離関係なく
単純に理論を理解してないで
国民の努力だの精神論に堕し増税を推進した緊縮派の集まりが学術会議
ただちゃんと思想的にやるなら大衆や個人というのも思想として扱わなければならなくて
この2人ともそこまで突き詰めてない
マルクスが流行った時代だから哲学がおろそかになってるかもね
国民の努力だのナショナリズムを押し出し増税を推進する
極右が学術会議なのである
むしろ左派こそが大きな声で批判をしなければいけない
丸山批判の焼き直しではあるとは思うが
何かもっと草の根的な、戦時中の隣組に近いネトウヨの群れからの同調圧力があるよな
>>20
ネトウヨを特別視する必要はないよな
古今東西、馬鹿は理解できないものに勝手な妄想で理由をつけて迷信よ
そんとき自分の権威を上げて他人を支配しようと企んでクソみたいな理由をつけるから、事実を暴く学者を火炙りにしたくなる
科学の敗者が馬鹿である以上、馬鹿が上位に行くためには嘘を押し通すしかねえ 高橋洋一
「主流」の経済学者の言うことを信じないほうがいい
はっきり言えば、復興増税は経済学の学部・大学院程度で習う、
課税平準化理論から間違っている。つまり、一時的な経済ショックがあって財政出動した場合に、
増税によってその時点の財政収支を均衡させることは効率性の観点からも望ましくない。
むしろ公債発行によって、税収と財政支出を一時的に乖離させたほうがいい。
直感的にも、100年に一度のショックがあってそのために財政支出が必要なら、
100年国債を発行して負担を100年間で分担したほうがいい。
が、復興増税を提言した経済学者は多い。そのリスト(伊藤隆敏研究室サイト)を見ると、
日本を代表する一流学者が顔をそろえている。
しかし、学部・大学院レベルの間違いをしたのであるから、お里が知れている。
しかも、この提言では、「消費税は生産意欲を減退させにくく、
経済成長に与える影響が軽微である」と書かれている。これをひとつの根拠として、
昨(2014)年4月からの消費増税も行われている。
https://www.j-cast.com/2015/03/12230156.html 学術会議についてネトウヨガーと言ってる奴らが
むしろ極右学術会議を支持する極右なのである
ネトウヨ批判は小室直樹のアノミー論がそのまま当てはまっちゃうから
>>29
それも吉本か誰かの本で読んだが
たかが学生に研究室を荒らされた程度で学問の自由ガーいうのはエリートの傲慢さ、温室育ち的なことが書いてあった気がする 吉本隆明って内心ではマルクスエンゲルス以外の社会科学全般を馬鹿にしてたんじゃないかな
はっきり言えば学術会議は戦中の体制と同じだ
丸山らが依拠する民主主義なるものとも真逆
国民は団結して増税で戦おうという
上からのファシズムだ
そしてナショナリズムの高揚を煽った挙げ句理論も
現実も理解してない大間違いをしでかした
そもそも吉本の本は何が書いてあんのかよくわからない
「難しい」じゃなくて、ただ「わからない」
俗情との結託。
これで連中の行動のかなりの部分が説明できるw
緊縮派が緊縮派を選び、緊縮派だらけになり
国民の団結だのを理由に増税する
このような学術会議の状況を正しいと思うなら
君等は極右思想に染まっている
「見る」は「忖度する」に近い意味だろう
いちいち言葉で説明しなくても察しろってことだろ
>>44
当時はどちらかといえば左派だった小林よしのりの危険性を見抜いていたすが秀実の彗眼は見事 ネトウヨのルーツは吉本と三島にある
自称まともな右翼が彼らを褒め称えるのを見るとわかってねぇなぁ~って気持ちになる
>>40
荒らされた程度って言うけど
二度と手に入らないフィルムや蔵書やノート燃やされたりしてるけどな
学者としては堪えるだろうよ
それも含めてエリートの惰弱さと笑うならもうどうしようもないな 丸山眞男をひっぱたきたいって言ったあんちゃんは吉本隆明はどうしたいの?w
ついでに娘のばななはどう?って小一時間くらい問い詰めたい。
別にわけなどない。
吉本は基本マルクスベース
でも下部構造だけですべては説明できないよねみたいになって
でも上部構造を説明する論理はもってないから色んなものをもってきて
心理学的に考察
体系化できてない
これが共同幻想論だろ
学術会議が言った国民の団結で増税www
これ確かにもろ丸山が言う上からのファシズムだなwww
じゃあネトウヨは学術会議支持してるやつらじゃんwww
(結果的に)三島の思想がイキリウヨを生み出し、吉本の思想が冷笑系を生み出した
異論は認めない
>>54
元祖冷笑系の糸井重里を代表とする80年代の政治を熱く語るのはダサイという価値観を産み出した側面はあるかもしれんが吉本自身は政治にコミットするタイプだっただろ >>55
いやもっと根源的な諦めを見出せるだろ、吉本には 共同幻想論は積ん読中
ただ吉本隆明に影響受けた連中って捻くれ批評家が多いからどうかなとは思う
非上級国民たる大衆がそれ自体で自律したもんであるわけないでない?🤔
大衆とは上級国民に操られるだけの従属的なもんであって大衆調べてもなーん出てこないんでないの?
>>1
違うと思う
何よりも憲法学者とか金もろくに稼げない宴会部長の能無しが一人前の待遇を求めるのが生意気なんではないかと 大衆が学者とか見ていないんだろ
学問の自由なんかじゃ大衆は動いてくれない
動いてほしければ対価を払うべき
吉本本人よりも花田・吉本論争のほうが重要な気がする。
なお内容は忘れた…
>>58
大衆というか、人は皆自律しているというのが一般的な科学的人間観だよ
結局肥やしであれ、ある人が自分の利益となるように選択してるわけだから
大衆が質量で、これに国王が形を与えるって絶対王政とかファシストやぞ? >>60
金銭に操られるだけの従属的なものになりたいのか 吉本の知識人批判への批判を
学術会議批判への批判に安易に使っちゃうことのほうが危険だと思うけど
>>62
人が自分の利益に基づいて行動してるならばプロスペクト理論なんて出てこないと思うんよね😞
集団になってさらに操りやすくなっただけのもんが大衆なんでないの?🤔
そんで大衆とは上級国民やらある特定の人々のプロパガンダやらスローガンに操られるだけの存在でそのもの自体調べても「あ、こいつらアホなんか☺」ってのしか出てこないんと思うんよね
それよりも操る側が如何に大衆を操ったんだろか?🤔
を調べる方が有益な気がするんよ >>58
大衆自身の言葉がネタ切れで何も出てこないなら
大衆は何もしゃべらないで学者の側が忖度してくれたら憶測が色々出てくる >>66
大衆自身の言葉がネタ切れで~というより寧ろ
大衆自身には言葉もなく考えもないんよ
ただ権威やら権力とかが提示した言葉をコピペするだけなんよ☺
「大衆だってかんがえてるんよ?😠丸山はこっち見て!」と言ったとしてもそもそも考えてないのだから見るだけ無駄な気がするんよね😌 悪いものをコピーしたら悪くなるが、コピー自体は悪ではない
じゃあ大衆の側からの視点が完全に正しいかというとそんなことないんだよな
そんなどっちつかずな態度じゃ学説にならないんだろうけど
吉本・高畑勲のようなリベラルへの批判も込みだったのは
時代がまだそれの受容も余地があるだけの大らかな時代だったからこそ
できた一種の贅沢なんだよ 結局これだけインスタントでプアーな時代が訪れる
とは思ってもいなかったのかネトウヨ気質な奴の好都合な論材料になってしまったのは
歯がゆい思いはある 両氏ともなまじひとまわり下世代にはいまだに崇められてるし
タチが悪い 吉本は特に