
特攻兵器「桜花」は、日本軍の「忖度」が生んだ哀しい失敗作だった
「この槍、使い難し」と指揮官
始まりは一少尉の思いつきだったかもしれませんが、桜花の開発はやがて大きな流れとなっていきます。昭和19年秋には、桜花を主装備とした空中特攻専門部隊「第721海軍航空隊(通称「神雷[じんらい]部隊」)」の編成が始まり、訓練も行われました。
ちなみに、桜花の母機は、一式陸上攻撃機という爆撃機。桜花を抱えた鈍重な母機を、敵艦隊の近くまで護衛すること、さらには桜花を発射したのち、無事に帰還することに大きな困難が伴うことが、当初から予想されていました。初代飛行隊長の野中少佐も、「この槍、使い難し」と評したとのことです。
アメリカ軍が桜花につけたニックネームは、なんと「BAKA(馬鹿)」でした。
それでも、アメリカ軍は桜花をやっかいな存在と認識しました。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/52362?page=3