>>13 有名な古代の聖典の冒頭にこうあります。『かつてアートマンはひとりであった』――アートマンというのは真実の存在のことです。
これは形もないけれども実在として確実にこれだけがあるというものであり、みんなの本質でもあるところのもの。
しばしばこれを真我というふうに訳しています。本当の自己、本当の自分という意味です――このアートマンだけがあった。
しかし彼は、まあこれは彼女でもいいですが、『彼女は一人では楽しめなかったので、自らを二つに分けた。そこに男と女が生まれ、子が生まれ、そして彼女は異なる動物の姿になり、
彼もまたその後を追い、その動物の姿となりというふうに、次から次へとさまざまな動物が生まれていき、現在私たちが見るようなこの世界、万物が形成された』という、宇宙の始まりはこうであったというお話でもあります。
この原点に、楽しむという言葉が使われているのです。
これは別名インドの言葉ではアーナンダといい、楽しみとか楽、あるいは至福、このような意味合いの言葉です。
だから、本質が本来至福である、そしてそれを味わうという楽しみは、他者とともに味わうという、万物とともに味わうのが本来であると。
なぜなら、すべてのものがアートマンなのだから。
そのことを知って、いつもどこでも誰とでも楽しんでください。いつもどこでも誰もが至福でありますように。