パリーグ前後期制スタート
太平洋クラブ、日拓ホーム初年度
ロッテジプシー化(しばらく仙台に腰掛け)
このあたりかね
首位から最下位まで6.5ゲーム差だったけど
巨人は9連覇、広島は2年連続最下位で
僅差でも落ち着くべき結果に落ち着くんだと思った。
何でこの年だけ開幕が遅かったのだ?
4月7日でもよかったのに
アニメ「侍ジャイアンツ」の舞台。
春のゼネストで巨人名古屋への移動がバス、8月の中日3連戦、10月の巨人阪神10対10の死闘、
阪神129試合めの名古屋で優勝決められず、最終試合で優勝決定。忠実に再現。
>>7
68年オフ、翌年から両リーグ130試合制になるのに伴い、
今後は日米野球開催に関係なく、4月第2週土曜に開幕する取り決めがなされた為。
しかし73年オフに起きた第1次オイルショックの影響で、
早めにシーズンを終了させようという意図で74年からは第1週開幕が定番に。
同時にこの年まで、セリーグの試合開始時間は概ね、
18:50or19:00(大洋のみ18:30or18:00、対巨人のみ19:00)だったのが、
翌年以降は18:20or18:30 に変更された。 大洋が途中までやや首位独走するも息切れして5位に終わる。
やる気を無くした青田監督が実質1年目なのに退団
>>6
但しオールスター前までカープが首位争いを繰り広げる一方、8連覇の巨人が8月に
入る頃まで4位に居座ったままと2年後の下克上の下地は整いつつあったとも言える。
確か最下位の三原ヤクルトがオールスター後、急に勝ち出したのに合わせるかのように、4位巨人並びに5位阪神が「最下位は嫌じゃあ!」とばかりに勝ち出して大混戦の
様相に一変した様だね。 江夏ノーノー&自らサヨナラ本塁打、上田が対巨人戦で9回2死までパーフェクトと
阪神は20勝投手を2人輩出したが、今の所同一球団で最後の複数の20勝投手だとか
>>10
その大洋も42年後も似たような事やらかしたし… 団子レースになってセ各球団の観客動員数は伸びたんだよ
巨人は大幅増だけど最終戦まで縺れた阪神よりも中日の伸びが大きかったのが意外
前年に胴上げ阻止の襲撃事件がありながら
有刺鉄線を張るなどの対策しなかった阪神
前年.295の衣笠が.207の大不振。
せめて.250打ってればカープ優勝もあっただろ
69~72年にAクラスをキープしていて優勝予想のダークホースだった近鉄が
クサの不振などでよもやの最下位独走。
オフに西本新監督が誕生する
ぺピトーンと言えば以前の巨根スレに立派なイチモツ画像を貼られてた
巨人・・・湯口事件と川上の発言によるバッシング
阪神・・・金田正泰監督と江夏らとの確執
中日・・・中日スタジアム倒産
ヤクルト・・・史上最悪外人ぺピトーン
大洋、広島・・・これといった問題は目立たないが監督が1年で辞任
問題のないチームが少なく、どのチームもなにかしらあった。
広島の別当監督は補強方針でフロントと揉めて退団だったような。
大洋や近鉄といった問題チームを無難に率いていた別当が切れたのだから
当時のカープはいろいろ闇があったんだろな
>>17
ここで数試合欠場していたら、国民栄誉賞は無かった。 パリーグプレーオフ最終戦、
9回二死からスミスの均衡を破るホームランで気落ちした山田が
続く広瀬にも一発を浴びたのが痛かった。
阪急はその裏二死から当銀のホームランで1点を返し、
南海は胴上げ待機してた江本がブルペンで肩を作る間もなく緊急登板。
6球すべてストライクゾーンにいかなかったのに
球審の温情などで代打高井を三振に仕留めて最後の優勝となった。
南海は後期に阪急戦でわざと負けていたと言われたが
江本によればそんな余裕は全く無かったどころかプレーオフ直前は勝てる気しなくて震えていたらしい。
プレーオフ最終戦で前日に完投して登板予定が無かった江本が急遽登板したのも
抑えの佐藤ミチがHRを打たれて野村が慌てふためいたから
ノムさんは92年のパリデスを
クビが確定してる助っ人が活躍してくれたと
この時のスミスに例えてたな
シーズンは12勝17敗、防御率4.52と不振だった堀内が
日本シリーズではMVP
日本シリーズで巨人は3人しか投手使わなかった年だっけ?
70年に江夏が中日戦で2回二死に初安打を許した後、
13回まで34人連続凡退に仕留めながら
14回にホームランを打たれて敗戦投手になった試合があったから、
ノーノー&サヨナラホームランの時に
「野球は一人でも勝てるんや」と
本当に言ったとしても全然文句ないわ。
>>26
ブルペンでウォーミングアップも無しで、いきなり登板
前日完投したから、腕が廻らず、あっちこっち痛い痛いと堪えながら投げたそうだ
ムースは東映で敗戦処理で出てきた江本にいきなりエースナンバーを与え、 一番困った時も江本を頼りにした
髪切れとか散々文句言った癖に…
9回は江本は何処だと必死に探したそうだ笑っちゃうよな… >>29
高橋一三、堀内、倉田の3人か
今だとありえないな 阪急梶本が254勝255敗で引退。
この年は3勝0敗だったが、西本監督が残り1勝のための登板をさせようとしても拒み続けた。
新変化球に取り組んだりして当初は引退するつもりは無かったが
オフに上田新監督に腹心として乞われたらあっさり現役引退を決める
太平洋・日拓・・・西鉄、東映から球団経営を引き継ぐ(日拓は11月に日本ハムへ売却)
ロッテ・・・東京スタジアムでの開催権を失いジプシー生活に
南海・・・反野村派が造反、代表して野村に告げた三浦清弘を任意引退に追い込むほど野村がガチギレした
近鉄・・・藤井寺ナイター問題が表面化、長期の裁判沙汰に
阪急・・・これといった問題は無かったが観客動員の少なさが慢性的に
パリーグもいろいろあった。
西岡三四郎 山内新一 江本 佐藤道郎 マッシー 松原
日本シリーズは長嶋抜きだから
V9巨人最弱チームだったのに
一方的な展開で、南海が不甲斐無い。
>>41
阪急が普通に試合出来たら、巨人に勝てたはず。南海に足元掬われるあたりは、やはり西本さんが持って無かったんだろうね。 西本さんは退団の話が出てきて気が抜けていたらしいな
高井がそんな話をどこかに書いていた
ノムさんは寝たふりのプレーオフ奇襲作戦
巨人から来た相羽はシリーズでいい味出してたな
>>43
衰えた梶本や石井の代わりに水谷孝や戸田善紀らを起用するも
やはりG打線にボコボコにされるシーンしか想像つかない 倉田が投球中第4戦目:ブルペンで新浦寿夫(当時23才)と小林(22)が投げてます
第4戦は新浦先発の可能性も有った
倉田が乱調で敗色になればチャンス有ったのに出番なし残念
せめてブルペンを一瞬でも写して欲しかった
>>32
>>29
> 高橋一三、堀内、倉田の3人か
> 今だとありえないな 倉田が投球中第4戦目:ブルペンで新浦寿夫(当時23才)と小林(22)が投げてます
第4戦は新浦先発の可能性も有った
倉田が乱調で敗色になればチャンス有ったのに出番なし残念
せめてブルペンを一瞬でも写して欲しかった
>>32
>>29
> 高橋一三、堀内、倉田の3人か
> 今だとありえないな 長嶋が骨折してシリーズ欠場したのは阪神ファンの襲撃によるものだと思ってた
堀内が先発して
堀内「七点もとられたら普通敗けでしょ」
負け投手にならなかった…
1976阪急(山口高志先発)対巨人 日本シリーズ第6戦
七点差をひっくり返した…第6戦の巨人先発誰でしたか?
日拓のエース金田留が実兄が監督のロッテ戦の登板を拒否。
結局オフにロッテ行きになる
泥沼状態だった末期の西鉄から太平洋クラブに変わったライオンズ
初年度は心機一転で力いっぱい応援していた
前期ロッテ優勝かもと言われた7月のロッテ‐日拓戦、神宮が満員になり
2戦目は巨人戦の合間に二元中継された
老害化してた長嶋を骨折を理由に外す事ができたから優勝できたのかもな
実はシーズン全体の勝率はリーグ3位だった
優勝球団の南海
そうなんだよなあ。牧野コーチも「3位だから負けることはない」と言ってたし
>>55
打てばゲッツー守ればエラー
走る姿は鈍行列車 >>58
2010阪神も金本をこの年でお役御免にしとけば… 移動の問題だろ
古くは西鉄阪急を駒沢球場でやったことすらあるんだし(しかも優勝決定試合)
アニメの番場蛮
マンガのあぶさんがルーキーだった年だな
イチローが生まれてる
阪神巨人130試合目の決戦の日にイチローが生まれたんだな
阪神(江夏)・読売(高橋一)で年間300イニング投手が出た最後の年
最近まであぶさんがV9最後の年に日本シリーズ
に出てた事を知らなかった。
1999年が初めてだと思っていた。
あぶさんの単行本は10巻あたりからしか
見てなかったから。
>>60
その日の後楽園は
1試合目 日拓-太平洋
2試合目 太平洋-日拓 という変則ダブル 本物の方は、島野がレフトフライで高田がキャッチ。このシリーズは何と言っても堀内。