天文6年//1537年 足利義昭誕生
豊臣秀吉誕生
永禄3年//1560年 今川義元戦没 享年41歳
石田三成誕生
関が原をアニメにしたらどうかなんて
映画ファンからもアニメファンからも怒られそうなこと言ってる
そんな時君の名は。をテレビで見たのでいろいろと刺激になっている
なにしろ興収250億というとんでもない大ヒットなんだから毀誉褒貶はおいて
学ぶべき点は少なからずあるに違いない
一応三成と家康の対立だがこのふたりの会話一度もない
俺の対抗勢力にするため俺が三成を育てたと家康が言ったときはなるほどと感心した
ないだろう 家康に育てられたなんてそれこそ夢にも思わないだろう
夢の中で入れ替わる 夢を見なければ入れ替われないんだ
初芽と家康と三成の三角関係
あるいは
初芽をめぐる家康と三成のせめぎあい
いずれもありそうだ
有村ファンとしてはどちらでもいいからこんな筋書きが望ましい
日本放送協会は嫌いだけど映画やドラマではむつかしいから大河
どうせ誰が何をやってもダメなんだから止めはやっぱり有村架純
史実より想像
史実なんて所詮本当か嘘かわからんような文書を弄りまわし都合の良いように解釈する学者の作文なんだ
今この時のことでもいろいろな見方や解釈の仕方があり何が真実か定かでないのに
主に伝聞をもとにした文書にどれだけの真実があるのだろう
しかしまあその権威に従って歴史は編まれているのは事実
初芽っていう女性実在したらしいけど其の初芽と関ヶ原の初芽が同一人物かどうかはわからない
さっきの夢の話だが三成の旗印が天一天万天吉とからしい
意味は天下万民が幸せになることだって けっこうなことだけどね
豊臣秀吉が天文6年生まれになってるけどどうせいい加減だろう
コンピュ-タ-何かができせいでヒトはがんじがらめで身動き出来なくなっちまった
数学的素養は0なので説明を読んでもさっぱり二進法のことはわからない
二進法はヒトを十把一からげに括って処理しようとする
時の賢者が50年前に50年後の予測を思い思いに語った
インタ-ネットなど通信機器の発達は予測していたがコントロ-ルに関しては楽観的すぎた
戦国から関ヶ原に至る狂気 これこそ日本史における希望の時
薄汚れた思惑が起こし夥しい人が死に慟哭した戦争もある
三成は初芽に恋したのか 恋したから手を出せなかったのか
上方で納会なんかが終わる時手打ちといった言葉が江戸に伝わり
江戸は武士社会だから手打ちはまずいので手締めになりそれが逆輸入で上方に伝わったが
そのまま使うのも癪に障るので大阪締めと言うようになったらしい
この手締めが大坂締めになった経緯の資料が全く見当たらないので困っているとその道の史家が言っていた
本当に困ったふうにその資料が全くないと何度も言っていた史家
勝海舟だったかな 文書なんていい加減なもんだ全く当てにならねえと言っていたのは
いい加減なものと前提の上でそれをもとに想像力を働かせるのが歴史なのかな
資料があったらあったでその解釈を巡っての論争 楽しそうだね
役者が早口で怒鳴り倒す芝居で何を言っているかわからないと不評の映画関ヶ原だがわからなくてもいいと言っているのが監督
原田監督が早口の芝居を役者たちに強制する中で唯一
役所広司さんだけは好きなように芝居をしてもらったと言っていた
役所広司さんはいい加減な芝居ができると思ったからだが
この場合のいい加減というのはいい塩梅という意味で適当ということではない
資料にいい塩梅という評価はないだろう あるのかな?
もし関ヶ原をアニメにしたとしてセリフはどうするのかなそこが一番興味がある
映画と同じように怒鳴り倒すのかそれとも聞き取れるようにしゃべるのかどっち
エロイとこもグロイとこも全くないからアニメにして中高生にも親子ずれにも見てもらえるから
ひょっとしたら実写より客が入るかもね
ひょっとしたら役者も何か感じるものがあるかもしれない
ただ
有村架純だけはあのままじゃあないかそんな気がする
有村のいいところも悪いところも全部含めてファンなんだから
有村のいいとこも悪いとこもは頑固なとこ それが可愛い
本読みもおろそかにしない
ハワイ旅行から帰った翌日に本読みがあったので予約をすべてキャンセルして本読みに備えた
これが有村のスタイル いい加減なことは自分に許さない
それでこれまでやってきたのだからこれからもそれで行けばいい
ただいい加減でいいよって天命が言ったように聞こえたらいい加減にしたらいい
自分のスタイルを変えるのは大変だ 無理に変えたらおかしなことになる
いろんな人がいろんな事を言う
中には何らかの下心があっていうやつもいる
ただ原田監督は有村の魅力を十分引き出せたとは言えない
場面も役者もおびただしい数を見なくてはならない監督だから
有村に関わっている時間は脚本の段階からあまりなかっただろうと推測する
だから有村主演の初芽が中心になって回っていくような戦国絵巻のラストが関ヶ原
大河的に時間をかけたテレビドラマ 乾坤一擲やる度胸はどこにもなさそう
さいしょの刑場の場面 バタバタして状況がよくわからなかった
三成の苦しい立場だけはわかったが初芽のことはよくわからなかった
三成はあの場の責任者だったのか違うのかもわからない
途中で島左近を追ったのを見ると責任者ではなかったとも思えるが
ねじふせた初芽を誰かにあずけられたのはやっぱり責任者だったのかな
三成と秀吉の間に信頼関係はあったのかなあ わからない
いい加減な資料を頼りに想像する それこそ想像しがいがあるというもんだ
収支がどうなっているか知らないがとにかく立派でした
これからはどんな映画でもとりあえず褒めることにした
どんな映画でもといったけど
有村架純が出ている映画しか見ないんだからとやかく言う資格なしかな
そういえば有村以前戦国時代にタイムスリップする時代劇めいた映画にでていたんだ
あれが時代劇かどうかわからないがユウチュウブで断片的に見た気がする
信長が出てきたんかな殺陣の場面なんか一応経験しているんだ
だいぶ前だから本人は出たことは忘れてないだろうが場面は覚えていないかも
どこまで出た映画なりドラマの場面覚えているのかな俳優さんは
俳優も自分が出た場面はほとんど覚えているに違いない
覚えていたからってどうということはない でも覚えているに違いない
もう時代劇も現代劇もないあるのはアニメ映画と実写映画
でも有村架純は実写映画 ほんとうはただ単に映画と呼ぶんだが の最後の女優になるかも
なんかそんなようになりそうな気がしてきた最後の女優有村架純
最後の映画女優有村架純と書いたが映画は亡くならないよ
和服の裾がいたずらな風に煽られ膝くらいまで見えたらエロイ
今度の関ヶ原では全然そうゆう場面がなかったのは原田監督はもう……
天正10年(1582)に信長が命を落としたとき49歳だった
その時 天文6年(1537)生まれの秀吉は45歳だった ただ秀吉の生まれについては不明な点もある
その時 天文11年(1542)生まれの家康は40歳だった
その時 永禄3年(1560)生まれの三成は22歳だった
信長の妹於市御前が浅井長政に嫁ぎ後の淀殿を産んだとき三成は八歳だった
ここから始まり本能寺を経て関ヶ原までがひとつの物語なのだ
八歳だった三成はお市の方が産んだ茶々の産声が聞こえるほど近い長浜にいた
もちろん実際に聞こえたわけではないけどね 念のため
お市の方と三成は会ったことあるんだよ小谷で まだ茶々が生まれる前に
そのお腹に触っているんだよ三成はまだ秀吉と出会う前
三成にとって茶々はかつての主筋の姫それ以上でもそれ以下でもない
しかし今の主人秀吉の嫡子を産んだことでややこいことになった
秀吉のとこに来たの幾つだったのかな そのへんのことは全く知らない
わからないことが多い わかってることも間違いないかどうかは怪しい
茶々が秀吉の側室になったのも天正16年頃で確実な話ではない
小谷城が落城して父長政をなくしたとき茶々は4歳か五歳
それからの人生傍から見れば目が回りそうだが本人はどうだろう
時間の流れが当時と今では違うだろうし人によっても当然違う
茶々にとっての関ヶ原
傍から見てもよくわからないのだから渦中にいれば尚更わからない
秀吉の対しての思い秀頼に対しての思いも三成に対しての思いもどれひとつとってもわからない
歴史に流されたのか歴史を泳いだのか泳ぎ切ったのかわからない
歴史という言葉も意識もなかっただろうから流されたとか泳いだとかは無関係
これは茶々に限らず当時の日本でそんなこと思っていたのは一人だけだろう あるいわ二人
こうして見ると茶々の168cmも含め でかいのは問題を起こしやすいのかな
そんなことはない
初芽を贔屓にした藤堂高虎は190cmもあったらしいがは築城でも名高く名君と言われた
藤堂高虎は面白い
75歳で死んだときは三十数万石の大名になっていたが浪々のみが長く食い逃げで捕まったこともあるらしい
高虎は女好きとと博打好きのどちらかを召抱えなければならないとしたら
どちらをと問われ博打好きをと答えた
ちまちました陰気なやつは嫌いだと藤堂高虎が言っていた
藤堂高虎の主君遍歴
浅井長政→阿閉貞征→磯野員昌→織田信澄→豊臣秀長→秀保→秀吉→秀頼→徳川家康→秀忠→家光
亡くなった時の身体は傷跡で隙間がないほど満身創痍だったという
常に身を捨てて戦ったさまが覗えその結果の禄高だろう
関ヶ原で戦った戦国大名戦国武将ひとりひとりの生き様死に様は唯唯いきをのむのみ
関ヶ原に倒れたおびただしい雑兵の生き様に息をのむものはいない
葬式が生きてる者のためにあると言うなら
野辺で朽ちゆくものは生きてる者にあかんべえしているのか
関ヶ原の土になった数千人の雑兵は誰にあかんべいしているのだろう
やりすぎ防犯パトロール、特定人物を尾行監視 2009年3月19日19時7分配信 ツカサネット新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090319-00000026-tsuka-soci
この記事で問題になった通称やりすぎ防パトは、創価学会と警察署が引き起こしていたようです
掻い摘んで説明すると
・創価学会は、町内会や老人会、PTA、商店会等の住民組織に関し、学会員が役員になるよう積極的に働きかける運動を
90年代末から開始し、結果、多くの住民組織で役員が学会員という状況が生まれた
・防犯パトロールの担い手は地域の住民と住民組織で、防犯活動に関する会議や協議会には、住民組織の代表に役員が出席する為
防犯活動や防パトに、創価学会が間接的に影響力を行使可能となった
・防パトは住民が行う為、住民が不審者や要注意人物にでっち上げられるトラブルが起きていたが
創価学会はその緩さに目をつけ、住民組織を握っている状況を利用し、嫌がらせ対象者を不審者や要注意人物にでっち上げ
防パトに尾行や監視、付き纏いをさせるようになった
・防パトは地元警察署との緊密な連携により行われる為、創価学会は警察署幹部を懐柔して取り込んでしまい
不審者にでっち上げた住民への嫌がらせに署幹部を経由して警察署を加担させるようになった
・主に当該警察署勤務と考えられる創価学会員警察官を動かし、恐らく非番の日に、職権自体ないにもかかわらず
私服警官を偽装させて管轄内を歩いて回らせ、防犯協力をお願いしますと住民に協力を求めて回り
防犯とは名ばかりの、単なる嫌がらせを住民らに行わせた(防犯協力と称し依頼して回っていた警察官らの正体は恐らく所轄勤務の学会員警察官)
※これに加えて防犯要員が同様のお願いをして回る
・こうして防犯パトロールを悪用し、住民を欺いて嫌がらせをさせつつ、創価学会自体も会員らを動員し、組織的な嫌がらせを連動して行った
つまり警察署に勤務する学会員警察官、警察署幹部、創価学会が通称やりすぎ防犯パトロールの黒幕
詳細は下記スレをご覧下さい
やりすぎ防犯パトロールは創価学会と警察署の仕業だった
http://2chb.net/r/bouhan/1516500769/ 雑兵も名のある武士も関ヶ原で死んだものみんなの魂はまだ関ヶ原でさまよっているなんて言うやつがいるがそんなことはない
成仏できない我利我利亡者で三途の川は芋を洗うような混雑
長い時間を見ればねえ もうすこし短くして欲しいんだけど
盆地に倒れたひとりひとりの雑兵の心は
一銭五厘の思いを込め関ヶ原高原を未ださまよっているに違いない
>>252
それで京のヤカラをシメてたんだからすげえよな >>287
シメてたかどうかは知らないが身の丈に合わない長刀を振り回していたらしい 新選組が京都で活躍し始めたのは関ヶ原の合戦から260年あまり後のこと
それぞれ命をかけたのは同じだが一方は天下のこともう一方はわたくしごとに見えてしまう
もうひとつの違いは一方の主力は徴用兵もう一方は志願兵
これだけの人数で暴れまくり後世に名を残したのは大したものだ
架純のことは知らないが
初芽は家康と三成との間を行ったり来たり二股かけているから忙しいんだ
母になったら抱いてやると内府様がおっしゃいますから
赤ちゃんができるよう頑張ってくださいと三成の尻を叩く閨の初芽だった
ひょっとしたら関ヶ原の合戦はふたりの男が
初芽に踊らされているのを承知の意地の張り合いだったのかも
だから初芽に赤子を与えられなかった三成は刑場に引かれたのだ
不治の病に侵されたら大概の人は何かに縋る
占いの人か何かに方角をいわれ借金して家を買って移った人がいた
落ち目になってもじたばたせずに自然に任せる これがむつかしい
本人は泰然自若としていても取り巻きの人があたふたとする場合がある
本人は引退したくても周りがさせない場合がある これが困る
戦国時代にタイムスリップする映画あったね有村主演の
だから有村はチャンバラの経験あると違うの
ちゃんばらまではなかったのかな
そのときのちに忍者の役をやるとは思わなかったのかな
監督と脚本が同じ人というのはむろんいい面も悪い面もある
いい面はいろいろな意味でわかっているということ 意思がスム-ス当然だ
悪い面では独善的になりやすい いろんな考えがあるんだからという思いが薄くなる
一番具合が悪いのが監督の息がかかった脚本家 これがどうも良くない
けっこうこうゆう場合が多いみたい 監督が声をかける
まず自分の脚本を書いてそれをたたき台に監督と話し合えればいいんだけどね なかなかそうは行かないようだ